わたしは幼少期はフィリピンに育ち、小学に上がるころに日本に来た。
そうなると、フィリピン語が母語だと思われるかもしれないが、実際のところ、日本語がわたしにとっての母語だ。
今でもフィリピン語が話せるのは、いつフィリピンに来ても現地の人と話すことに困難が生じないように、との母の配慮によるものだが、フィリピン語フィリピン語は日常会話が話せる程度で、身の回りでよく使う品な単語以外はよく知らない。
それでも、フィリピン語での会話には困らない。
フィリピン語で伝えられなければ、英語を使えばいいし、それでもダメなら、日本語でそのまま話せば、大体伝わってしまう。
英語はフィリピンの公用語であり、日本語が通じるのは、日本のドラマやアニメ、歌がフィリピンで人気だからだ。
一方、母語とも言える日本語での会話は、わたしにとって辛いものがある。
日本人相手だと日本語以外の言語が使えないからだ。
わたしは、家や日本に済むフィリピン人との会話では、フィリピン語と日本語と英語の3つウィごちゃ混ぜにして話すことが多いのだが、そこでは、英語、フィリピン語、日本語問わず、最初に頭に浮かんだ言語の単語を口に出すことが多い。
どの言語の言葉を使っても、フィリピン人にはそれで通じる。
ところが、日本人相手にはそうはいかない。
最初に浮かんだ言葉が英語やフィリピン語だとしても、一旦日本語に変換しないと相手に伝わらない。
英単語のまま伝えれば、お高くとまっていると思われたりして嫌な人に映ってしまうし、フィリピン単語はそもそも会話言語の選択肢に入らない。
それにもかかわらず、それの日本語訳を忘れてしまうことがよくある。
結果として、思い出そうとして時間がかかったり、早く伝えようと焦って語弊がある日本語訳をしてしまったりしてしまう。
これが原因で中学時代は天然だと思われることもあったが、そうではない。
ただ単に、会話言語の入れ替えに頭の回転が追いつかないだけなのだ。
ある記事によれば、これはバイリンガルの弊害らしい。
いずれの言語も中途半端に学んだゆえの結果だという。
日本語とのバイリンガルを育てようとするならば、親は子どもが正しい日本語が使えるように、もっと言語教育に力を入れる必要があるのかもしれない。
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