辛い記憶を語り継ぐことの難しさと大切さ

日記
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フィリピン人の祖母が3歳の頃、父母に連れられ、土を掘って作った防空壕に家族で隠れていたという。地上で行われる戦いから逃れるためだ。

3歳の頃の記憶なのに、なぜ今でも覚えているのか聞くと、祖母は目を潤ませながら、母が何度も何度も聞かせてくれていた話だから、と答えてくれた。

私は、今、祖母の話を聞いて、戦争が確かにあったこととして、前よりも身近に感じることができるようになった。

今も東日本大震災の被害を受けた人々が復興のため、風化防止のため、日々活動し続けている。

私は同年代の子の話がよく耳に入るので、どうしても同年代の子の活躍ばかりに注目してしまうからこういう話をするのだが、

特に東北の被災地の高校には語り部があって、東北の高校生はそこでの活動を通して、自分たちが見た景色、感情、周囲の状況、津波の高さと恐ろしさ、家族への後悔など被災体験を非被災者に語る。

別の高校生は地元の特産物を広めるための商品開発の提案をして採用されたり、また別の高校生は地元に来てもらえるような、地元の魅力をぎゅっとつめた観光アプリを制作したり、またまた別の高校生はガイドツアーを開催したり…。

そういう子たちの中には、自分から思い立って行動を起こすものもいれば、周囲の大人たち、同年代の子達に感化されて行動を起こすようになったものもいた。

このように、何かを後世に残そうという行動自体は私たちが想像するよりも難しいことではない。

ただ、その行動を起こそうとするとき、当時の記憶と共に胸の痛みまで押し寄せてくることに抗うことは難しいだろう。

現に、今になってようやく戦時体験を子孫に聞かせることができるようになった人々はテレビで多数登場している。

過去の記憶を語ってくれる人がいたら、その人が追体験をしながらも、私たちの身を案じて語ってくれていることに感謝したい。

日記
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